工業製品の大量生産を可能とする産業の生みの親「金型」。高度成長期の日本のみならず、ベトナム経済の今を支え続ける根底にもそれは存在し続けている。その結果もあって、2024年第1四半期(4~6月期)の実質GDP成長率は前年同期比6.93%増までに回復。前年実績の5.87%増ばかりか市場予想の6.00%増をも上回った。製造業に絞り込めば10.04%増と前年の7.21%増から一段と加速。政府の通年目標である6.0~6.5%増を上回るのはほぼ確実だ。ところが、である。ご存じだろうか。このような状況下においても、ベトナムの金型産業が今なお不十分・未成熟であるということを。その多くが中国ほか海外から持ち込まれているという実態を――。

10周年迎えた日越金型クラブ
日本企業68社、ベトナム企業23社、合弁企業13社などが加盟する「日越金型クラブ」は、金型生産活動の認知度を引き上げ、工業生産力のアップを図ろうと結成された事業者団体。日本の経済産業省や在ベトナム日本大使館などの後押しもあって、2013年5月に発足した。7人で始まった活動も年を追うごとに加盟企業・団体が増え、今では113の企業・団体、175人体制となっている。ローカル企業からの加盟申請もあり、ベトナム金型市場において欠かせない存在だ。
その設立10周年を祝う会合が2023年11月23日、ハノイ市のThe Hanoi Clubで開催された。同時に催された「第10回金型関連技術発表交流会」は、新型コロナウイルス感染症の影響から4年ぶりの発表の場となった。「最高を目指す金型づくり」をテーマに、金型をめぐる最新技術の紹介や生産性の向上、人材育成などについて講演が行われた。
続いて行われた「今までのベトナム金型10年、これからのベトナム金型10年」と題したパネルディスカッション。日本とベトナムの金型産業に関わる約10人が登壇した。ここでモデレーターを務めたのが日越金型クラブ副会長を務める福井市の金型・中間材製造「吉中精工」社長の吉中一夫氏。吉中氏はベトナム法人「Y.H SEIKO VIETNAM」の社長も兼ねている。
「よその国から持ってきた方が早い」
吉中副会長は、来賓として壇上に着席していたベトナム裾野産業協会の幹部が発した言葉が今も忘れられない。「金型は本当に難しい。国内で生産するより、よその国から持ってきた(買ってきた)ほうが早い」。概ねそんな内容だった。
同協会はベトナム政府系の現地事業者団体。モノづくりの裾野を支える部品メーカーなどが集まる核心組織だ。「根底にあるのは、金型に限らず原材料も機械も技術も他国から持ってくれば良いという考え方。ベトナム側が提供するのは安価な労働力のみ。それでは自国の裾野産業は育たない」というのが吉中氏の率直な受け止め方だった。
日本貿易振興機構(ジェトロ)の調査によると、ベトナムにある日系製造業の現地調達率は2022年時点でわずか37%。ローカル企業に至っては16%に留まるという驚愕の数値が発言を裏付けている。「社会主義の国だけに、産業界を牽引する政府の考え方や姿勢は現場に大きく影響する。他国依存の体質と言ってもよく、このような体制下では生産性の向上や技術革新などは到底望めない。まずはトップの意識改革が必要だと痛感した」と吉中副会長は振り返る。
「競争に勝つことできますか」
その約3カ月半後の2024年4月11日、今度は吉中副会長の姿はハノイ市のV.E.T Buildingで開催された「VASI CEO Summit(ベトナム裾野産業協会CEOサミット)」の会場にあった。前年11月の日越金型クラブ10周年会合に同協会側から参加があったことへの返礼の訪問だった。ここで吉中氏は15分ほど登壇する。かねて抱いていた思いをストレートにぶつけてみることにした。
「製造業の発展において裾野産業の拡充は必要十分条件。そのためには、生産機器も金型も道具も国内で調達できるという体制を作り上げなければならない。現在のような他国、取り分け中国に依存した状態で、今後成長が見込まれるアジア、アフリカ、中東などの国々と競争できますか。勝つことができますか」
講演後、懇談の会場にいた吉中氏は、一人のベトナム人経営者の来訪を受ける。ベトナム人通訳を介して必死に訴えるその人物が語るのは、講演の内容にいたく感動した。全面的に賛同する。これからも日越金型クラブの行事などにも積極的に参加したい。そんな内容だった。「目の前の利益ばかりを追求するのではなく、10年後20年後を見据えるこのような経営者が存在することでモノづくりは栄える。ベトナム市場も捨てたもんじゃないと感じた」。素直な感想だった。
「ベトナムに金型産業の確立を」
ベトナム裾野産業界の他国依存体質は深刻――。その実情はベトナム政府が肝いりで支援する成長分野の電気自動車(EV)市場を見ても顕著だ。巨大複合企業ビングループ傘下の自動車メーカー「ビンファスト」。アメリカ市場でも販売を開始するなど来年にも黒字化を目指す国内屈指の一流企業だ。だが、その足元では現地調達は決して十分とは言えない。
2017年設立の同社は、2023年5月に米ナスダック市場に上場を果たし、時価総額が約850億ドル(約12兆円)に達したことも。生産工程の9割を自動化するなど世界最先端の工場を立ち上げたことはよく知られており、車体製造や塗装、組立などは北部ハイフォン工場などで行われている。だが、駆動機関など少なくない主要部品は欧州市場などからの輸入に頼っているのは周知の事実。国内調達の完備が喫緊の課題として存在し続けている。
こうした実情を日越金型クラブのもう一人の副会長で、名古屋市に本社を置く名古屋精密金型の現地法人「メイセイベトナム」の平原忠志社長も憂慮している。
「裾野産業のいわば〝国産化〟は、産業発展、経済発展のカギ。国内でできないなら海外から買えばよいという発想では、輸入相手国の経済悪化など万が一の時のリスクにも対応できない。だが、一企業、一個人の訴えでどうなるものでもない。ベトナム政府に金型国産化の重要性・必要性を認識してもらうよう訴える必要がある」
こうした思いを受けて、日越金型クラブでは日系企業らでつくるベトナム日本商工会議所などを通じて政府に向け継続的な発信も続けている。「ベトナムに金型産業の確立を」。クラブのメンバー全員が共通して抱く思いだ。
金型グランプリにベトナムから参加目指す
金型メーカーなどで組織する日本の一般社団法人日本金型工業会。その団体が2009年から定期的に開催しているイベントに、大学生や高専生らが参加して行われる「学生金型グランプリ」がある。2024年度の第16回大会は4月17日~19日の日程で大阪を会場に開かれ、プラスチック用金型部門では大分県立工科短期大学校が、プレス用金型部門では岩手大学がそれぞれ金賞に選ばれた。
「学生金型グランプリにベトナムからも参加を」と掛け声を上げているのが、日越金型クラブの吉中副会長らだ。ベトナムにもハノイ工科大学などいくつかの大学や教育機関に、モノづくりを研究する科学者たちはいる。だが、時代のトレンドはこうした大学などでも人工知能(AI)やデジタルトランスフォーメーション(DX)などIT関連ばかり。「油にまみれる古くさい印象の金型は見向きもされない。予算措置も講じられない」(吉中氏)のが実情なのだという。
現状では、「金型グランプリに出場できるような技術力は、まだベトナムの学生たちには見られない」と吉中氏。だが、「その萌芽がないわけではない」とも。そこで、同クラブでは今年11月に予定している第11回金型関連技術発表交流会にベトナムの大学など研究機関でモノづくりを学んでいるベトナム人学生らを招いて、プレゼンテーションを開催する計画を立てている。
「大学からの人的・金銭的支援が何もない中にあっても、金型生産に関心を抱く学生たちは確実に存在する。彼らが活躍できる場を作ってあげたい」(同)というのが目的だ。クラブ側の推薦を条件に、学生金型グランプリへの出場権枠も確保しており、ゆくゆくは当地からのグランプリ出場を楽しみにしている。
第11回交流会はDXがテーマ
第11回金型関連技術発表交流会ではまた、「DX下での金型づくり」をテーマとしたパネルディスカッションも開催の予定だ。2022年5月から日越金型クラブの会長を務め、群馬県安中市に本社を置く東邦工業のベトナム法人「TOHO VIETNAM」の真庭秀哉社長は、その目的を「自分たちから遠い存在のAIやDXという理解でなく、それらが金型市場においてどう活用できるのか、用途はないのか。まずは触れてみて、知ってもらおうという試み」と解説する。
こうした先端デジタルトレンドをテーマとするのは、日越金型クラブが主催するイベントとしても今回が初めてのことだという。「AIを活用して果たして利益が出る仕組みが作られるのか、答えが出るかは分からないが、勉強は続けようという意欲が大切だ」と真庭会長は狙いを話す。
また、同会長は安定したサプライチェーン構築の必要から、下請けばかりに企業努力を求めるのではなく、発注側にも下請け市場を拡充・成長させようという意識改革が必要だとも説く。例えば、その一つとして、納品検査に合格しなければ代金は支払わないといった今も一部に残る商慣習を挙げる。「資金を回すことが、最終的に業界の利益になる」(真庭氏)という考え方からだ。
金型の発注先である中国への過度な依存にも重ねて警告を発している。「(中国では)今は買い手市場だから問題は表面化していないものの、この先の実態経済がどう変化するかは分からない。依存しすぎるのは危険だ」と警鐘を鳴らす。その上で、すでに〝脱中国〟を進める企業も現れていると明かす。「やるべきことは数多く存在する。日越金型クラブとしても実直に声を上げていきたい」と話した。